この世は俺が取り仕切る

 まだ中学生のころ、出席番号順に着席する定期試験の隣席で、「世の中は賢人がとりしきらなくちゃいけないんだ。愚民が頭に立ったらだめだ」と少年が嘯いた。「いいや、たとえこの世が滅んでも、愚かなものが自ら決める方を選択するね」と応じた。
 7-8年もあとだろうか。ベートーベンを崇拝していた過去を振り捨て、モーツァルトの宇宙的孤独に没入していたのは。その変化に驚く間もなく、数年後には「近代的個人が」と当人からは聞いたこともなかった言辞が漏れて来た。

 フォン・ノイマンは記号化された世界観によってこの世を取り仕切ろうとしたのだろう。
 土地によって支配の頂上に立つ王国の代わりに。
 もちろん、それは象徴としてあるだけで唯一個人ではないけれど。
 支配の構造そのものが記号的に持続すればよい。
 そして、人は消えていく。

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