おばかな四月

年末に身罷った叔母の遺品整理に出かけ、風邪を引いた。
ぐずぐずするうちに花見も今日が最後らしい。
当地の朝刊では夜桜のあでやかな写真が一面を飾っていた。

テレビの映像で当地の街中が流れる。
昼間の映像は70年ほど前、戦火に焼かれ、その後占領軍の支配下となり、人々のむき出しの欲望のままに割拠されたその様子を伝える。
さらにさかのぼること70年ほど、街はまた徳川の御世から明治の政権下へと、人々がはじき出され、せめぎ会って暮らしたものであろう。
若いころには遠い昔の出来事と映ったそれらが、今は身近に居座っている。

新しい年度が始まり、2週目も目前。年度始めの行事が半島の南で実施される。昨年は空港近くのホテルを宿泊先に選んだが、今年は日帰りを繰り返した。夜半に自宅に着き、早朝に半島へ戻る。現地泊の同僚たちは午前1時の就寝という。

週の半ばには契約先の診療所で定期健康診断。
高血圧を見逃してくれそうにない。医師と押し問答である。その手は食わぬとがんばってみるものの。
同僚の一人は既に長く薬を飲んでいる。人生も終盤にさしかかれば、話題のほとんどは健康不安に尽くされる。しかし、歳若い人々にとっては関心の的は同性や異性からの承認や其処へ繋がるあれこれであるらしい。それは、滑稽にも思われるが相手を貶めたり、賺したり、本人たちにとっては笑い話では済まぬ。

土曜日
週日では仕事が片付かず、職場で半日片付けをする。 
仕事の内容について、考える。職場について考える。
専門性の尊重はそこにはない。
そしてそれは、ここでのことに限らない。
何か、重要なことがわかっていないまま進めているかもしれないという惧れをあえて通り過ぎる無神経さ。

半日仕事場の中をうろうろして、ようやく机の上に隙間ができ、「距離」によってものを処理する。
何か。
なさねばならぬこととの。

日曜日
午前中寝具を干し掃除。午後は繁華街はずれの店へ店主を訪ねる。
何ということなく一日が過ぎる。

月曜日
晴れ。再度寝具を干す。午後、再度同じ経路。古い市街のコーヒー店の話を聞く。夕方は整体治療。終了後、取り寄せの清見のジュースを受け取りに。そして、ついでに胡麻ペースト、ピーナツペーストなどを求める。暮らしのあれこれで日が暮れる。

火曜日
早朝から仕事。夕方はぼろ雑巾のようである。
帰路、乗り継ぎ駅から足を延ばし、件の店まで。上野公園から東京藝術大学を通り抜け、谷中へ抜ける。そんな界隈のような街の風情が好ましい。若い店主が年寄りのことをあれこれと気遣ってくれる。
寝具の組み合わせを変更。体の節々が痛いことを寝具の所為にしていたが、どうやらその判断は間違っていたらしい。

水曜日
早朝から仕事。外部との連絡、内部の調整、そして会議。豆乳とトマトジュースで夕食代わり。着任3年の同僚は毎晩11時まで職場で仕事をしているという。明日は打ち合わせ。取りたい休みは、順につぶれて行く。
結局帰宅は遅くなる。今晩こそ、ブロッコリを茹でることにしよう。

木曜日
一日雑事のうちに過ぎる。
それはよいことかも知れぬ。
遠い昔に鬼籍へと急いだ友人のことを思う。
伝えたいことは、伝えたいように伝わらぬ。
それもまた、よいことかも知れぬ。

金曜日
疲れが覆い重なる。
日程を確認、今日もまた雑事。
抽象ということばについて、具象について。
若い人々は取り違えている。
まったく逆のことに。

騒がしいままに1週間がすぎる。すでに明けた週の土曜日。
使うなというお達しの通信機器を前に思い倦ねてはや20日近く。
1年も前に入手して埃をかぶっていたかじったリンゴの機械をようやく無線LANに綱いた。
あれこれ失敗を重ねて週末の午後を使い切った。
まことにおばかな4月である。その4月も終わる。

週末の一日、食事は以下の通り。
朝 野菜ジュース オリーブオイル シークワーサー 木の実のパン ブルーベリー バナナとチョコレートのジャム 紅茶 レモンとショウガを漬け込んだ蜂蜜 ヨーグルト
昼 酢漬けの野菜 イワシの南蛮漬け
夕 魚の練り物 干し椎茸 切り干し大根 粥
体重は昨年後半の最高値から6キログラム減。
血圧は鼻歌を歌いながらはかると劇的に低下。

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