日々降り積むもの 日々舞い上がるもの

海の向こうの大陸で竜巻のニュース。
そして、こちらにも時ならぬ爆音。
雨が降る。
冷たい風が吹く。
雷鳴。
灰色の雨をひそかに気遣う。

現実的な判断と専門家のブログにある。
爆発の危険はとりあえず納まっている。
空中へ飛散し広がるものはとりあえず、納まった。
水中への拡散は問題となるにせよ。
これから。
土中に降り降りたチリを、取り除くこと。
除洗といい、除染という。汚染を除くが原義。しかし洗い流す。
土であれば表層をはがし取り、集める。出来るだけ早くと。
土から舞い上がるちりを背丈の低い子どもたちが吸わぬように。

そして、風評被害と称するものの欺瞞にも言及する。

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相変わらず雨、曇り、晴、雷鳴。
大陸の西のはずれから報せが届く。
西方に浮かぶ島国で王子の結婚式が始まると。
生殖を埋め込んだ統治のシステム。
それがいつまで継続可能なのか。
当地での調査結果が披露される。
100年後には存在しないとする人々の割合が持続するとする人々の割合を大きく上回っていた。
ある雑誌には当地のゴシップ紙SUNなどが書きたててきたであろう記事の要約があった。
来るべき時代のシステムは、いったい何を反映する事になるのか。

過去100年間に起きた出来事を実はわれわれは理解していないのではないか。
隠蔽されたもの、カオスの中から拾い出すことのできないもの。
1996年夏、モントリオール映画祭。
ロシア語にフランス語の字幕のついた映画を見た。
ロシア革命の折、チェチェンからシベリアに送られた人々、そしてそれを動かした人々。
ロシア語はわからず、フランス語の字幕は追いかけられずにすり抜けた。
超法規的な措置、統治をこえた統治。あるいは暴力。
その後同種の映画を見ることはない。
その理由を知りようもない。

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日曜日、雨、時々曇り。
知人の野外コンサートに出かける。
和風庭園の中に浮かぶ舞台。客席は雨の叩きつけるテント。
毎年この時期に開催される。
今年が第20回。
100年の5分の1かと考える。
おそらく知り合って15年ほど。
社会教育のボランティアから出発し、今ではほとんどタレントの彼女の日常を想像する。

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完全にタレントとなった別の若い人。
テレビ、ラジオ、そして宣伝活動のための全国行脚。
被災地訪問も、その中に組み込まれる。
順調であるとないとに関わらず、再会することはないだろう。
そのラインから完全に降りるまで。
その見通しについて話し合ったのは昨年の夏の終わりであった。
姿を現さないのは順調であるか、あるいは、そちらの方向へむかっているということを意味するのであろう。

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訃報がとどく。
調べてみると、すでに16年の歳月が経過している。
その後、何度か歌集の受贈があり、入院の便りもあり、そのうち、往来は間遠になった。
その後の、頻繁な人の去来が歳月の前後関係を曖昧にする。

海の向こう、現実感の伴わない人の死の報せが到来する。
フランスに滞在中の家人から、現地のテレビはその関連報道で一色にそまっている、そちらはと聞いてくる。
厳戒態勢下にあるとも。
しかし、こちらでは地震のあと、津波のあと、そして原子力発電所崩壊のあと、・・・・
そして、来るべき増税の話。
「挙国一致」という言葉が昔あったということも、今は忘れられている。
そして、それは、あたかも新しい発見のようにひたひたとひろまっていくのであろうか。


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午後、散歩を兼ねて出た先で新聞数紙に目をとおし、加藤陽子氏の論考を見出す。
・・・・まず、人々の生活領域を私的な領域と公的な領域とに区分し、私的な生活領域では各自の信奉する価値観に沿って生きる自由を保障し、他方、公的な領域では考え方の相違にかかわらず、社会の構成員全体に共通する利益を発見し、実現する方法を冷静に探究し、決定する態度が、国家に求められる。・・・・毎日新聞2011年5月8日

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